大学生の中にはふと

大学は必要ではないと感じる人が多いと思う

私も少し前までそう思っていたが

最近では、考え方が変わって有要な期間だと思うようになった

それは、大学では学ぶ対象を選べる自由度が高く

先生を必要としない人種を創り出す機関だからだ。

私の経験談だが

小学校から高校までいわゆる”先生”という人が嫌いで仕方なかった。

彼らのする授業というなのポジショントークも嫌いだし

同じことを強制される授業スタイルも嫌いだ

例えば国語の授業

一人の学生に音読させて他の人は有無を言わず聞かなければならない

明らかに黙読の方が早いし

音読なら家でやればいい

なぜ皆の集まるところでやる必要があるか非常に謎である

あれを聞いているぐらいなら

よく飛ぶ紙飛行機を作った方が有意義だと思い

そうすると先生が鼻息荒くズンズンとやって来て廊下につまみ出される

それから私は数学と物理が好きだった

なので中学校時代に行っていた塾では教科書の進みは速かった

そして問題が解けるようになったら”次”を欲しがった

だが…

学校ではそれは許されなかった

密かに内職をしていてもつまみ出される。

気持ちとしては、スーパサイヤ人2になれる悟空がそうしなかったのと似ている。

学校では、”先生”を通さないと学習できないシステムになっている。

そしてそれを皆ありがたがって享受する訳だ

今だから思うが明らかに理不尽ではないだろうか?

 

では大学はどのに違うのかというと

基本的に自由なのである

自習休講するのもよしバイトするもよし

音楽に熱中するのもよい

ただし全て自責の上での話だが

そもそも大学とは何を学ぶ場所だろうか?

様々な解答があるだろうが

私はリベラル・アーツだと思っている

リベラル・アーツは「人を自由にする学問」という原語だ。

私は高校生のとき大学では

専門的なことを学ぶ場だと持っておりイメージではドラマ・ガリレオを想像して物理を専攻した

だが、蓋を開けると誰もフレミング右手の法則をしていないではないか

何なら白衣を着ている人もいないし

派手な実験もしない

授業は座学ばかりであくびがでる

高校と何ら違わないではないかと落胆し

大学に行って何の意味があるのだろうかと思った

そこで試しに自分の考えを反映させる為に学校へ行かないようにしテストだけ受けに行った

以外にも単位はフルで取れた

教授陣たちからの呼び出しも無かった。

つまり、大学では卒業に対する条件があるものの

その手段は問わないのだ

もちろん公序良俗に反してはならないが

授業によっては小テストで毎回8割りを取れば期末テスト免除などもある

教員側の事情としては

私たちのような青二才を相手にするよりも

科研費や企業からの研究費を集める為に

実験で成果を出した方がよいのだ

なので、たとえ内職しようとも怒られない

つまり、うまく授業をこなし好きに時間を使えることがわかった

このようにして私はこれまでに無い程の

時間を手に入れることに成功したのだが…

それと同時に何をしていいのかわからなくなった。

ゴロゴロしながらYouTubeをみる日々

何とも無機質だ

そこで何か熱中できるものを探した

自転車で600Km走ったし地域活性化プロジェクトにも参加した

バイトも色々した本もたくさん読んだプログラミングもやった

クラブにナンパしにも、フェスにも行った

短期留学もインターンもビジネスコンテストだってやった

今だってこうしてブログを書いてる。

そしてそのどれもが熱狂できるものだった

おそらく全ての物事は、点で存在しているのではなく繋がっており

そのどれもが趣深いのである

ただそれを受動的にやるか主体的にやるかの違いだと思う

つまりは、いつまでも”先生”に教えて貰うスタンスではなく

自由に学ぶ為の基礎教養を身につけ

新しいものへ熱狂できることが大学の意義であり

私の価値を想像するのだと思う。